イタリア。パスタとワインとカルチョ、そして脱税とバカンスの国。 軽く脱帽していると、シーズン開幕を告げる笛が鳴った。(本文より)
高校生のとき、部活で、ゴールに向かって左45度の位置からシュート練習をたくさんした。当時のサッカーシーンは、ゴールエリアの角あたりからペナルティエリアのいっぱいまでを「デル・ピエロゾーン」という言葉で呼んだ。
イタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロ。そのゾーンは彼の聖域で決してシュートをはずさないという。僕らはだいぶ憧れて、来る日も来る日もそこからシュートを撃った。彼のようになりたかった。崇拝していた、と言ってもいい。モミアゲを伸ばして、クラスの女の子に頼んで、彼女たちの眉毛のように鋭く整えて、悦に入っていた。素敵な青春だ。
そんな脳みそサッカーボールだったころから8年。デル・ピエロに会った。
忘れもしない’05年の6月1日、品川プリンスの宴会場。まだ梅雨入りはしてなかったけれど、蒸し暑い夜だった。ユベントスが日本でも人気を獲得しようと、ジャパンツアーと題して興行的なツアーで来日していた。そのウェルカムパーティーでのことだ。
会場にはマスコミはもちろん、スポンサーさんやらタレントさんやらがたくさんいた。サッカーにあまり関係がなさそうなスーツを着た人もたくさんいて、スター選手と、握手のち一緒に写真、みたいな感じで、人々は〝チェコのコンダクター〟パヴェル・ネドベドや、〝フランスの城塞〟リリアン・テュラムに殺到していた。
僕も、もちろん、とくに取材する必要もないのに、ミーハー丸出しでスーツカンパニーで買った一張羅を着て会場に乗り込んだ。
その中に、いた。
目の前に〝イタリアの恋人〟と呼ばれる男、アレッサンドロ・デル・ピエロがいた。
サッカー好きのシノブさんは、’02年の日韓W杯でイタリア代表が来日したとき、「アレックス(デル・ピエロのアダ名)にウインクされたら子宮がピンチだわ」とわけのわからないことを主張していたけど、要するにまぁ、それだけ世界的に、男女問わず人気のある選手だ。ついでだから書くけど、神田うのもいた。うのは目ヂカラ全開の必殺〝うのスマイル〟をフルパワーで出力していたにもかかわらず「チャオ」って言われただけで、軽くあしらわれていたけど。
そして、僕は硬直していた。なぜか息も止めてしまう。現実感がなさすぎる。憧れのスーパースターが目の前にいるのだ。チラ見しかできない。さすが伊達男。カッコいい。テレビや雑誌で見ているように髪の毛は「風呂上がり?」っていうくらい濡れていて、モミアゲは刃物のように鋭く顎まで続いている。ユニホーム姿ももちろん素敵だけれど、スーツもいける。あんな男性に微笑みかけられたらシノブさんでなくても女性はもれなく溶けてしまうだろう。
スターの背後で、廊下に立たされた小学生みたいに直立している僕に、編集者であるナイスミドル、イトさんは、ビール片手にこう言う。
「タケダもスポーツライターのはしくれなら、スターだろうがなんだろうが、臆しちゃダメだ。話しかけてこい」
そのとおりだ。でも緊張で動けない。居酒屋『花の舞』で「酒を飲むのはやめだ。これからは呑まれることにする」と高らかに宣言した四十男に正論をかざされて、なんだか悔しかった。
同じく同行してくれた編集者であるマドンナ、キタムラさんは、
「いつもはギャイギャイうるさいのに情けない。ただのミーハー? チャンスなんだから、話しかけてきなさい」
そのとおりだ。でもなんだかふわふわしてて動けないんだ。彼女は直後「あ、あの宝石商カッコいい。結婚したい」などときゃいきゃいハシャいでいた。そんな三十路女に正しい指摘をされて、なんだか悔しかった。
それから数ヵ月、ひょんなことから、このサッカー奇行、もとい、紀行の話が舞い込んできた。出版社のお金でサッカーを観に行けるのだ。僕なんかのような駆け出しひよっ子ペーペーライターには、願ってもない。夢のようだ。それにアレックスに会えるかもしれない。
最初の打ち合わせで、担当編集Tは言った。
「まずは、イングランドの中田英や、スコットランドのシュンスケあたりかな」
「デル・ピエロに会いたいんです」
会話の流れを無視して、僕は主張する。
「最初は日本人が在籍しているチームのほうがわかりやすくて面白いかもね」
「デル・ピエロに会いたいんです」
オウムみたいに返す。賢くない感じだけど、しょうがない。必死に話す。
シュート練習をしたこと。憧れの選手に会ったのに、何も言えなかったこと。2人の編集者に痛烈なダメ出しをされたこと。後悔と屈辱。なぜ何も言えなかったのか? 疑問と違和感も残った。
だから最初は、自分のサッカーに対する、仕事に対するスタンスを確認するためにも、彼にもう一度会いたい。イタリア・セリエAはちょうど開幕だ。月並みだけど、決めゼリフを言う。
「イタリアに行くなら、なんでもします」
すると、編集Tはそのセリフ待ってました、とばかりにニヤリと笑い、3つの条件でイタリア行きをOKした。
ルール1 予算は15万円ぽっきり。チェンジ、延長はなし。
ルール2 お小遣い帳をつけ、提出する。
ルール3 イラストを描く。下手でも一生懸命に描く。
イタリア出発の前日、新しいバックパックを買った。スポーツメーカー勤務のユウカさんに平身低頭し、社員割引を駆使してもらい、半額で買った。僕は彼女の厚意に甘えきって、スノボのウェアやらなにやらをいつも格安で買ってもらっている。お礼にメシでも、と誘ってみるけど「観たいテレビがあるから無理」って今日も言われた。
食事は断られたけど、紺色の大きなバックパックは丈夫で背負いやすい。なんだか嬉しくなって、無駄に深夜のコンビニに行ってみたりもした。今後、相棒となるであろうバックパックに大きな希望と予感と不安をぎゅうぎゅうに詰めて眠った。
’05年8月30日。スイスエアライン169便、成田発チューリッヒ経由ミラノ行き。僕にとっての初めての海外サッカー取材の地・イタリア。そこでなんていうか、ちんちんになる。
「ちんちん」というのは、「Cincin」。イタリアで「乾杯」にあたる言葉だそうだ。
もうひとつ意味がある。サッカーをやっていた人は使う人もいると思うけど、相手の思うがままにやられるコトを「ちんちん」と表現する。「ちんちんに(パス)回された」とか「相手の8番にちんちんにやられた」などと言うのだ。使ってみてください。
ちんちんになることをまだ、エコノミーでアホ面さらして眠っている僕は知るよしもない。
深夜にやっと着いたミラノ中央駅。細く冷たい雨に濡れ、8月だというのに寒さに震えた。
航空券を買って残った予算はたったの260ユーロ。「るるぶ」に載っている星のついたホテル1泊に値する。このなかから3泊分の宿泊費と、食費、交通費、チケット代をひねりださなければならない。
雨のミラノで安宿を探しさまようこと1時間。やっと35ユーロの部屋を見つけた。家具はベッドだけ。シンプルさが売りなのだろう。
とりあえず荷物を置いて熱いシャワーを浴びたのだが、営業しているレストランを探し25分さまよい、また濡れた。日本ではまだ海水浴ができるというのにミラノで震えている。
やっとありついた夕飯はいちばん安いボロネーゼとビールで6・5ユーロ。パスタは洗濯後の靴下みたいに冷たくてふやけて伸びている。ビールはこれでもかというくらいキンキンだった。夕飯を食べて寒くなるなんてなかなか経験できるもんじゃない。
今回は第1回ということもあってモーニング編集部のT氏も同行してくれた。彼には15万の予算制限はないみたいだ。向かいのテーブルでカボチャのニョッキをはふはふ食いながら、赤ワインのボトルをあけている。とても幸せそうに見える。
「ニョッキうまいっすよ。さすがイタリアですね」
「あ、ホントですか? ボロネーゼは伸びきってました」
このやり取りのあと、大人として「 」に入る正しいセリフは「少し食べます?」だろう。しかしT氏、
「そうですか〜。せっかくイタリアに来たのにね〜。ははは」
体と懐に冷たい雨。独房みたいな部屋。ふやけたボロネーゼ。ニョッキの恨み。これが僕の人生初の海外取材初夜に起こったすべてのことである。さい先はあまりよろしくない。それでもめげずにトリノに向かう。というか、それしかないのだ。
大都市ミラノから西に電車で2時間ゆられると、ユベントスのホームタウンであるトリノに着く。トリノは冬期五輪が開催されたことと、スローフード発祥の地であることを言ってしまえば説明が終わるような田舎町だ。でもここにはカルチョが観たくて、世界のフットボールファンの目が集まる。僕だってそのクチだ。
でもそのへんの付け焼き刃セリエAファンと一緒にされちゃ困る。オレは取材だし、デル・ピエロにも会った。カルチョ体感の下地ができてるんだもんね。妙に前のめりでトリノ到着。大いなる勘違いと敗北を知るのはもう少し先になる。
ユーベのホームスタジアム『デッレ・アルピ』は、中心部からトラムで45分程度。アルプスの麓という意味の美しい名を持つスタジアムだ。そこに西日が差し込みはじめるあたりから、ゼブラのユニホームに身を包んだ人々が集まりはじめた。パチもんグッズや、ホットドッグ、ビールの出店も並ぶ。ラッパみたいな楽器の音が聞こえ、何かわからんけど叫んでいるヤツもいる。いよいよ祭りが始まる。今年もカルチョの幕が開く。
チケットブースに歩いて行くと、すでにアルコールだかハシシだかに酩酊してるスキンヘッドが近づいてきた。完全に目がすわっている。ヤバそうだ。僕は中坊時代の得意技「上級生の校舎に行ったときの、目を合わせない歩行法」を惜しみなく出す。決して逃げたワケじゃない。早くチケットを買いに行きたいだけだ。
「ゴール裏のほうが安いですよ」
「トゥブリナ」という35ユーロの、家族連れや観光客が好んで買うチケットの列についた僕に、編集Tは言った。ゴール裏のチケットは「クルヴァ」という危険地帯だ。いろんなことが起こるらしい。たしかに15ユーロと大幅に安いけれど「女性や観光客はなるべく行かないようにしましょう」ってようなコトが『るるぶ』にも書いてあった。そんなの絶対ダメだ。
「あ、あぁ、知ってますよ。でも、ホラ、あれ、なんだか凶暴でうるさい連中のそばにいるよりスタンドのほうがフォーメーションとかわかるし、アレックスもよく見えるし。うん」
僕の声はうわずってないか?
「ふぅん」
ふぅん? Tめ、まさか僕がビビってるって思ってないだろうな。
そんな僕たちのやりとりを知ってか知らずか列の前にいた女の子が話しかけてきた。ダブダブのユニホームの背中には10番が張り付いている。
「ユベントス?」
さすがの僕も女の子にはビビらない。
「シー。アレックス」
するとさらに前方から、きれいにアゴが割れたお父さん出現。一瞬ビビった僕になにかまくしたてたが、僕がイタリア語を解さないとわかると、東のほうを指差して言う。
「アレックス、ミラノ、ローマ」
そうなんだ。日本でも連日の移籍報道がされていた。アレックスはミランかローマに行ってしまうかもしれない。
「ホントに行くのかなぁ」
思わず日本語のつぶやきが漏れた。そしたらケツアゴ父さん、
「なんたらかんたらズラタン、トレゼゲ」
と言った。そうなんだ。スタメンはズラタンとトレゼゲなんだ。アレックスの居場所はここにはもうないのかもしれない。
やっとアレックスに会える嬉しさと、移籍報道がもたらした不安。その両方を抱えて僕も『デッレ・アルピ』に飲み込まれる。
アレックスの試合前のアップ姿をピッチで発見した。おぉ、ここから見てもモミアゲが長い。襟足がクルッと巻いている。ふいに何かがフィットした。アレックスと会ったのに話せなかった自分。東京で感じた違和感の正体はこれだ。この距離感。僕はこの距離でやっと彼を見ることができるのだ。僕にとってのアレックスは興行目的のツアーのパーティーで、上品なスーツを着ている彼じゃない。カルチョの国でゼブラの戦闘服を纏い、ゴールと勝利とスクデットを求めている彼なのだ。大きな声で名前を呼んだ。
「アレックス」
もちろん声は届かない。それでもいいし、そのほうがいいかもしれない。でも僕はまた彼の名を呼ぶ。繰り返し呼ぶ。彼との距離を詰めたいのか、保っていたいのか、わからないけれど、とにかく大きな声で、力の限り何度も何度も。
キックオフを前にスタメンがアナウンスされる。ゴール裏のエリア「クルヴァ」のティフォージを始め、スタジアム全体が唾を飲む気配がした。
アナウンサーが選手の名を「クリスチャン〜」と半分だけアナウンスする。次の瞬間スタジアムが爆発した。「アッビアーティ」スタジアム全体が名前を呼ぶ。僕の「アレックスに会いたい」なんていうささいな願いなんて吹き飛ばすかのような叫びだ。これがカルチョのスタイルか。僕もアレックスの名前を尊敬と親愛を込めて叫んだけれど、イタリア人はそれより強く大きく叫んだ。とても荒い、しかし深い親愛の叫び。鳥肌がブワーッと立つ。今まで、サッカーをけっこう観てきたつもりなのに、カルチョにあっさり圧倒され、魅了されている。
イタリア人のエネルギーはすごい。ほかにもっとエネルギーをかけるものはないのか? イタリアからの留学生ジャコモ君はこう言っていた。
「イタリアの男性は脱税とバカンスとキレいな女性のことばかり考えています。女性は、あんまりわからないけどジェラートのことかな。カルチョは考えなくてもあるものなんです。日本人がお米を食べるのと一緒です」
好きとか嫌いとかじゃない、そこにあるもの。
イタリア。パスタとワインとカルチョ、そして脱税とバカンスの国。
軽く脱帽していると、シーズン開幕を告げる笛が鳴った。
セリエA’05─ ’06シーズンが始まった。ゴール裏、紛争地帯「クルヴァ」を陣取ったティフォージたちが、胃も破裂せよと大声をあげる。
「ゴール裏、盛り上がってますねぇ」
編集Tが言う。正直、僕はビビってクルヴァのチケットが買えなかったのだ。でもそれを気づかれると悔しいので、
「あ〜、でも、ああいうなんだかうるさいなかじゃ集中して観られませんね」
と負け惜しみをしぼり出す。遠吠えする。そんな僕をよそに、イタリア人は歌いつづける。叫びつづける。僕も試合前「アレックス」とさんざん叫んだけど、蚊の羽音みたいなもんだ。
しかし、アレックスのポジションには背番号9を背負ったスウェーデン人、ズラタン・イブラヒモビッチがいた。昨シーズンからユベントスへ加入し、圧倒的な強さと高さと、その柔らかなボールタッチから繰り出されるプレーの数々はしばしばカルチョの国の住人を黙らせるほど力強くて美しい。’04〜 ’05シーズン、ユーベにスクデットをもたらした原動力のひとつと言っていいだろう。
ズラタンとは’04年、ポルトガルでの欧州選手権で出会った。ズラはイタリアと対戦したとき、漫画のようなヒールキックで同点ゴールを奪った。その奇跡のようなヒールキックやプレーよりも、ゴール後にズラタンが興奮して走り回っていたのを覚えている。ちょっと異常だった。昔、阪急とたけし軍団にいたピッチャーのレスリー・アニマルを思い出した。
さらに翌日、新聞には、
「あれが奇跡なら、奇跡はオレにしか起こせない」
というコメントが載った。すげぇこと言うなぁ、と印象に残っている。
それからなんとなくズラのことは気になっていた。昨シーズンも相手DFに回し蹴りやヘッドバットをお見舞いしたりは日常茶飯事、監督の指示に不満を抱き、ベンチに向かって中指を立てたりもしたらしい。
「オレを止めたければDFを6人にすればいい」
「人がボールでやることをオレはオレンジでやる」
この試合中もひでぇもんだった。ダラダラとピッチを歩く。茶髪のサッカー部員だってもっと真面目に走る。攻守に奔走するトレゼゲを横目にズラは、
「おうおう、よく走るな〜。ご苦労なこった」
と言わんばかりに悠然と中央のあたりをテクテクと歩いているのである。審判にまで横をガンガン抜かれている。
「FWは自我が強くなくてはならない」というのはフットボールの常識だけれど、ちょっとここまでいくとどうなのかなぁ、と思う。決定力不足に悩むどっかの代表チームのFWに見習わせたい気もするけれど。
ひと昔前、イタリアでは魔法のような足技を披露するアレックスのような「ファンタジスタ」がスター選手の主流だったけれど、現在はピルロやトッティなど強くてうまい選手が主流になった。時代が変わればサッカーも変わるのだ。フィジカルが強くてたくさん走れる選手。そのうえ、監督の言うことを忠実にピッチで具現化できる選手。つまり予想以上のプレーをする選手はとくに必要なくて、予想どおりのプレーをできる〝計算できる選手〟が重宝されるようになってきた。ユベントスで言うとパヴェル・ネドベド、マウロ・カモラネージあたりだろうか。それが「カルチョは凡庸なものに成り下がっている」という昨今の批判につながっているのかもしれないが、今はそれは置いておく。
この働きバチたちが大勢いるユベントスで〝最後のファンタジスタ〟と呼ばれたデル・ピエロは時代錯誤、ちょっとレトロな存在なのではないか? 一方、働きバチがたくさんいるピッチで、新しいキャラクター、エゴイストな〝バルカンの異端児〟ズラは、近年確立したカルチョの破壊者となるのではないか?
そしてその両極端のふたりを同じチーム、しかも同じポジションの駒として置いている名将カペッロ。「アンタ、どういうつもりなの?」じかに聞いてみたい。カルチョの破壊か、それとも回帰か。あるいは両方か。矛盾のなかに秩序と共存は生まれるのか? 答えは出ない。サッカーをちゃんと考えるといつも思考が空転する。
そんな禅問答をしてる間に、前半36分、ホームのユベントスに先制点が入る。トレゼゲがヘディングで叩き込んだ。待望の瞬間の到来に、『デッレ・アルピ』は弾ける。おっさんが、若者が、子どもまで、68人くらいしかいないキエーボのサポーター以外が空を殴り、意味不明の歓喜の言葉を叫ぶ。
「゛お゛あ〜!!!!!」
歓喜の咆哮を聞くと、ちゃんとサッカーを考えるのがバカらしくなってくる。カルチョな人々はこうして日々、パスタとワインを食べ、脱税のことばかり考えて、カルチョはそこに当然あるものとして考えているというのに、僕は時代うんぬん、フィジカルがなんだ、名将がどうしたってブツブツ言っている。これじゃ僕がいちばん嫌いな人種、頭でっかちでうっとうしい〝蘊蓄サッカー通気取り〟と同じだ。
カルチョとは考えないことなのかもしれない。たしかにシステムがうんぬん、戦術や時代がどーたらも大事だけど、せめてスタジアムにいるときは斜に構えず、何も考えずにボールの行方に集中して美しいプレーを待ち、それに一喜一憂していたい。ファンタジスタの消滅は憧れた世代としてはさみしいけれど、仕方ない。それが時代の流れだ。
後半戦もカルチョなヤツらは歌いつづける。僕の隣に座った7〜8歳の女の子がスタンドの大合唱に合わせて「バッファンクロ」と叫んだ。英語だと「ファッキュー」や「アスホール」、スペイン語だと「イホデプータ」、日本語で言うと「クソったれ!」、とにかく女の子が使うべき言葉ではない。あわてた母親が娘をたしなめる。とてもおかしくて微笑ましい光景だった。
カルチョの前では誰もが感情を剥き出しにして、泣き、笑い、喜び、怒る。そんな彼らにとって当たり前の事実が、とっても羨ましくて仕方ない。
トレゼゲのゴールが決まったとき「(ローマから移籍してくるという報道がされていた)カッサーノなんていらねぇんだ」と叫んだブルーカラーっぽいおっさん。
客席に舞った紙吹雪を一枚一枚丁寧に拾い集めていた男の子。
少数ながら臆さずに声を嗄らしたキエーボのティフォージたち。
それぞれのスタイルでカルチョを享受している姿を目の当たりにして、「こりゃ勝てんわ」とひとりごちた。
さらに後半残り10分。アレックスがアップを始めた。すると『デッレ・アルピ』はこの日、ゴールの瞬間に次ぐ歓声に包まれる。また鳥肌が立つ。この人たちはわかっているのだ。アレックスが時代遅れであろうと、カルチョの民は彼の偉大さを忘れるわけがないのだ。トリノ節。胸が熱くなる。
イタリアにはやられっぱなしだ。金欠にあえぎ、ゴール裏にビビり、その生態にあきれ、脱帽し、嫉妬し、驚かされ、最後は泣かされる。カルチョに揺さぶられっぱなしだった。
試合はそのままユーベが1─0で逃げ切った。宿に戻り1リットルで2ユーロの安物白ワインを手にテレビをつけると、延々と今日のハイライトをやっていた。解説者みたいな人や、アイドルみたいな人や、いろんな人が延々と映像を見ながらディベートしている。安物ワインが空いたのは午前3時過ぎ。ブラウン管の向こうのディベートはまだまだ続きそうな感じだ。「こりゃ勝てんわ」とベッドに潜った。
2ユーロの安物白ワインをがぶ飲みしたからだろうか、翌日はまんまと二日酔いだった。
カフェのテラス席で3ユーロのパニーニとカプチーノの朝食を取る。今日は何をしよう、と考える。明日には帰国しなければならない。うすうす感じていたけれど気づかないふりをしていたことに気づく。
お金がない。
ボールは堪能した。ところどころでビールも飲めた。きっと今日は最後の「B」と向き合う日だ。
とりあえず列車でミラノに戻り、昼飯を店でいちばん安価なペンネアラビアータにし、残金を概算し財布と相談した。結果、宿代(36ユーロ)と晩ご飯(8ユーロ)、明日の朝食(5ユーロ)、さらに空港までのバス代(5・5ユーロ)すべてさっぴくと5・2ユーロ残っていることが判明する。ため息をつく僕の隣では編集Tこれみよがしに山盛りのムール貝を食べ、ビールを飲んでいる。あ、お代わりした。この人と一緒にいると泣いてしまいそうなので別行動を取ることにした。
世の中金がすべてじゃない、とは思うけど、矢田亜希子が歌ったようにお金は大事だと思う。よーく考えた。
ドゥオモに登るのに3・5ユーロ、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』が展示されているサンタ・マリア・デッレ・グラティエ教会の入場料が6・5ユーロ(さらに予約料が1・5ユーロ。予約料っていったいなんだ?)。ブレラ絵画館が5ユーロ、スフォルツェスコ美術館3ユーロ。エトセトラえとせとら……。
某カードのCMはきっと「ミラノで吹いた芸術の風、プライスレス」とか電波に乗せるのだろうけど、僕にとってミラノの街はプライスだらけだ。ヴィトンも、アルマーニも、パニーニも、ジェラートも、トイレの利用までプライスがある。
だからお金がないとけっこうみじめだ。さっき昼飯を食べたレストランのレジ係も、
「なにこの汚いジャポネーゼ。アラビアータだけしか食べられないの」
っていう表情を浮かべた気がした。
自虐的で被害妄想な思いと、深刻な金欠に襲われたので、あそこに行くことにした。僕にとってミラノで唯一のプライスレスな場所。地下鉄の24時間券を3ユーロで買って、M1(地下鉄1号線)に乗った。
ドゥオモから西へ約15分。『Lotto』という駅で降り、メタセコイアの並木道を20分ほど歩くとイタリア最大のスタジアム『サンシーロ』がある。これも世界的に人気のあるクラブ、ACミランとインテルミラノのホームスタジアムだ。並木道を歩きながら、ミランの赤と黒の縦縞、インテルの黒と青の縦縞をそれぞれを纏ったサポーターがここを行進して行く様子を想像した。とっても勇ましい光景だと思う。
日本で言うとさいたまスタジアムの線路沿いのあの道だろうか。ちょっと遠いけどあの道を歩いているときに、試合へのモチベーションが上がっていったり、勝利の余韻を感じたりする。敗北後の葬列だったりもするのだけれど。
着いた。近くで見るとホントにデカい。ライターのくせにこんな感想しか出てこないのも情けないが「すげぇな」としか思えない。デカすぎてなにがなんだかわからない。高校時代のチームメイトの、決定力不足FW・ミツが、『サンシーロ』についてこう言っている。
「とにかくデカくて見てるだけで圧倒される。混乱する。200万円くれるって言われると、アレ買ってコレ払って……、って使い道がわかるけど、6億円だともうワケわからなくなるのと似ている」
その気持ちがわかった。いつかここにも来ることができたらな、と思う。そのときはもちろん「クルヴァ」の席で声を張り上げよう。
日が暮れてきた。日本から持ってきたガイドブックには、
「ミラノに来たら『最後の晩餐』を見ないとバカだ。無駄だ」みたいなことがデカデカと書いてあったけれど、僕はついにダ・ヴィンチの作品にお目にかかることができなかった。まぁ、そんなに見たかったわけでもないけど。
では、僕はバカなのか。べつに否定もしないけど、そんなことを頭ごなしに言われたら「ミラノに来たら『サンシーロ』を見ないと大バカだ」とムキになって言い返してしまうかもしれない。サンシーロは建築物としても立派だし、その中でプレーするピルロはFWもMFもできる「万能の天才」だ。さっきも書いたけれど、ダ・ヴィンチを見るのには8ユーロも必要だ。それだけあればアルデンテのカルボナーラと冷えたモレッティが飲める。
ダ・ヴィンチよりボール、アートよりビール。たしかに少しバカっぽいけど、貧乏なんだから仕方ない。そしてなにより僕にとってのイタリアはこれが断固正しい。
次はどこへ行こう。15万円でどこでも行ける。
ドイツで活躍するシンジやイナに会いたい。スコットランドのシュンスケは元気だろうか? 知ってる選手がひとりもいないタイリーグだって、リーグがあるかどうかもわからないジンバブエだっていい。世界はボールで溢れてる。
そんなことを考えながら、メタセコイアの並木道の途中にあるカフェで1ユーロのカプチーノを飲んだ。なけなしのユーロは残り1・2。そろそろこの旅も終わりだ。
マスターらしき人がカプチーノを運んできて、流暢な英語で僕に尋ねた。
「カルチョを観に来たのか?」
「そうだ、昨夜トリノで観た。でも明日帰らなきゃいけないんだ」
「カルチョはよかったか?」
「もちろん」
「それはよかった。じゃあ、君はまたすぐイタリアに来ることになるよ」
「なんで?」
「なんでってカルチョはイタリアにしかないだろう」
そう、イタリア。おそるべしカルチョの国。ちんちんなのである。
春先に、海外旅行が大好きだというアカネちゃんと、新宿三丁目で飲んだ。
アカネちゃんは背が低くて、瞳が大きくて、よく笑うかわいらしい女の子だ。来月、ミラノに行くらしい。
「タケダ君はイタリア行ったことある?」
「あるよ。2年も前だけど」
「どこに行ったの?」
「ミラノとトリノ」
「え〜すご〜い。ミラノで何したの?」
「え、とくに何も」
「買い物?」
「あんまりしてないなあ」
「観光?」
「ドゥオモを外から見たよ」
「ミラノのヴィトンに限定品があるらしいんだよね」
「へ〜、そうなんだ」
「おいしいお店、教えてよ」
「スーパーで買った白ワインはおいしかったよ」
こんな噛み合わない会話で、アカネちゃんが喜ぶわけがない。彼女は終電の3本前くらいで越谷にある実家に帰っていった。
やっぱりミラノに行ったら普通の人は、『るるぶ』に載っているような、豪華なホテルに泊まり、素敵なレストランで舌鼓を打ち、有名なアートに刺激を受け、ブランドの限定品を買い漁るのだろう。
僕もまだ見ぬ彼女ができたときのため、さらに新婚旅行のときのため、ちょっとぐらいはミラノのオシャレなスポットを学んでおいたほうがいいかもしれない。
しかし、その日、僕が取った行動といえば、友人のイシダ君を呼び出し、「森本君は成功するか」「ガットゥーゾがどんだけいい選手か」「マテラッツィの挑発はアリなのか」などとカルチョについて朝までの議論だった。夜更けに「な〜にがダ・ヴィンチだ」「なにがブランドだ」と喚きながら深夜の歌舞伎町を闊歩し、お巡りさんに怒られた。
こんな僕ら、自分で言うのもなんだけど、わりと嫌いじゃない。そう思ってくれる人がいたらぜひ、友達になりましょう。