黒博物館 館報

黒博物館 館報

黒博物館 館報
vol.1 (5/24更新)
 

 バネ足ジャックはヴィクトリア朝のロンドンに実在した正体不明の怪人物である。ヴィクトリア朝というのは、ジョージ3世の孫アレクサンドリーナ・ヴィクトリア(1819~1901)が、18歳で大英帝国の女王として即位した1837年から、崩御した1901年までの64年間の治世の時代である。ちょうど昭和年間と同じ長さで、経済と軍事力の上昇で国勢が大いに伸長した。

 その1837年秋にバネ足ジャック(JUMPING-JACKまたはSPRING-HEELED JACK)は出現したのである。当時ロンドンは人口200万人。産業革命による経済成長の初期で、安い輸入野菜や穀物の増加により、職を追われた農民がアイルランドやスコットランドからも働き口を求めて都会へと流入し、一挙に人口が増加した。

 当時はロンドンも都市の体裁は整っていなかった。砂ぼこりの舞う未舗装の道路を馬車が行き交い、中心部には工場や労働者の家屋が建築されて、かなりのにぎわいを見せていた。その反面、ホームレスや犯罪者が下町にはたむろして、安いジンに酔いしれての喧嘩(ルビ:けんか)、金目当ての殺人や強盗も多発した。照明はロウソクや灯油ランプなので、夜になると市中でも暗く、もちろん街灯もなく物騒なので、女性は夜間の外出もできなかった。町外れには馬に乗った追いはぎ(ルビ:ハイウェイ・マン)が出没する状態だった。そこには口伝えでさまざまな都市伝説が生まれたが、バネ足ジャックもその一つだった。

 ロンドン警視庁がホワイトホールに設立されたのは1829年のことで、犯罪捜査資料の保存のため黒博物館(ブラック・ミュージアム)がその建物の地下に設けられたのは1874年のことである。10年後には手狭になり、2階の囚人管理部の一室に移された。

 黒博物館の設立前、ニューゲイト監獄に収監された犯罪者は、所持品や衣類などすべて取り上げられ、それを担当の看守が勝手に売買して小金を稼いでいた。有名な犯罪者の衣服などは蝋人形館が買い取り、そっくりの人形に着せて一般公開していた。現在でもマダム・タッソー蝋人形館の「恐怖の間」にはその現物が展示されている。

 囚人の財産管理を担当していたネイム警部は、この状況を改め法律を定めるように申請、法律は1869年に発効した。犯罪者の所持品は釈放時に返却し、必要な証拠品や資料となる物は保存して今後の犯罪捜査に役立てることになった。

 当初、黒博物館には主として凶器(約150点)が展示された。やがて凶器(銃・ナイフ・棍棒《ルビ:こんぼう》・ひも・毒薬など)、現場や加害者・被害者の写真、捜査用具、調書から、処刑された犯罪者や被害者のデスマスクまである。黒博物館は現在でも存在するが、あくまで捜査資料として警察関係者にだけ公開されており、一般人は観覧できない。

 バネ足ジャックが初登場したのは、ロンドン警視庁創立から8年後、1837年10月11日夕方のことである。漫画の冒頭で描かれたとおり、ロンドン郊外のブラックヒースにこの怪人は出現した。被害者は丘陵のホテル「グリーンマン・イン」のウェイトレス、ポリー・アダムズ17歳。町の収穫祭で、ホテル経営者の息子とデートするために、丘陵の人けのない夜道を、一人急いでいた。

 この辺りは薄気味悪い場所で、昔は絞首台が設けられ、罪人が公開処刑されるのを、市民は楽しんで見物していた(漫画の4ページ目の背景にも、絞首台が描かれている)。彼女はホワイトフィールド・マウントと呼ばれる大岩の脇を通りかかった。ここは17世紀の聖人、ジョージ・ホワイトフィールドが民衆に説教する時に立った岩場である。

 すると岩陰から突然黒い人影が飛び出し、ポリーは衣服を裂かれ露出した乳房をつかまれた。彼女は驚いて必死で抵抗したため怪人も諦(ルビ:あきら)めたのか、ポリーから離れると腰に手を当てて青い炎を吐き、甲高(ルビ:かんだか)い声で笑った。そしてマントをひるがえすと、飛び上がって暗闇に消えた。ポリーはほっとして気を失い、祭り見物に通りかかった人に発見された。病院に収容され、かすり傷の手当てを受けてから医師にこの話をしたところ口コミで噂になり、新聞でも報じられた。しかし最初は郊外によくあるレイプ未遂事件か、祭りに便乗した若者の悪戯(ルビ:いたずら)だろうと思われていた。

 しかし、ポリーの事件だけではなく、ロンドンの各所で似たような怪人に襲われたという被害届が出はじめた。いずれも人けのない場所で、被害者は若い女性に限られていた。だが金品が奪われたり、強姦されたわけではないので、警察も別に捜査はしなかった。

 ところが翌1838年1月9日、ロンドン市民聴聞会でこれらの事件が取り上げられて市民の間に大反響を呼び、新聞記事で「バネ足ジャック」と命名された怪人は、一躍世間に広まることになったのである。